無個性とエゴと協調性

前田翔矢です。

著書『五体不満足』

Twitterを見ていたらこんな記事が流れて来ました。

自己肯定感を持つ方法

著書『五体不満足』で有名な乙武さんのネット記事です。
内容は自己肯定感に関する記事ですが、言葉をお借りすると僕も無個性化した社会には魅力がないという乙武さんの言葉にすごく共感します。
記事の中で氏は

「僕は『無個性化したほうが生きやすい社会なんて魅力的ではないし、健全ではない』と思ったので、そう伝えました。そんな社会を肯定したくなかったんです。」

これすごく難しい問題です。
僕らの世代というのはゆとり教育真っ只中だったわけで、ゆとり教育というのはつまり無個性化した人間ではなくてもう少し個性を生かした人間を育てようと試みたわけです。
しかしその後は個性を盾にサボり続ける、または打たれ弱い若者ばかりになってしまったと大人が舵を切り直し脱ゆとりを目指したと。。。
(実際の学力低下などもあったようですが)

ゆとり教育真っ只中

ゆとり教育真っ只中の我々世代はやたらとゆとりと言われましたが、その結果ゆとりと言われないための行動を顕著に取るようになったと思います。
こうしたことから現在の30代手前世代は自意識過剰だけど、本物志向と思うわけです。話は戻りますが、現在の社会での個性の弾圧は半端ではないです。人間を利便性で測るとそれは単調なものになり、その単調に平均化したところにテクノロジーで追い討ちをかける。この社会のドM構造に僕は正直違和感を感じます。

どうすれば良いのか?

例えば機械でまかなえるところは完全に機械で、人間しかできない(サービス業など)ことは人間に任せたとして、それは打ち込みと生演奏は共存しないということになります。
ご存知のように社会はそうもなっていなくて、完全に音楽面ではその点、協調しあっています。

音楽面からこの社会における個性の問題に教授を受けるとするなら、絶対的に生音を認め、打ち込みを認める作り手のモラルと知恵が必要です。
これを社会に当てはめるとどうしてもモラルの低下、団塊の世代の保守的知恵遅れ、資本主義の限界、グローバル化しないぞおじさんなど問題がありただその問題を音楽に当て込めると

モラルの低下
→練習しまくる若い世代、ヘタウマを極めるバンドマン。

団塊の世代の保守的知恵遅れ
→衰え知らないレジェンドミュージシャンたち、若者よりストイック。

資本主義の限界
→金じゃないよね!音楽!!w

グローバル化しないおじさん
→言わずもがなほぼ洋楽クオリティの先輩たち

直感で書いたのでなんとも言えませんが、要は社会と違って音楽人たちは高いモラルとコミュニケーション能力、他を知り己を知る力を高いレベルで維持して文化を守っている訳です。

極端に努力、進化し続けない限り、個性は廃れる。

高いモラルと誇りを自分に持つ。
優しさを忘れない。
人間を忘れない。

以上。

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  6. 前田翔矢

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